耳鳴りと共に感じたイメージ通り過ぎて怖い昨今

最近忙しくて記事書けなくてすいません。
 さて、タイトルなわけですが。 この表現が正しいのかは正直未だにわからないとこもあるんですけども。

2012年12月21日のこの記事で書いた 「これから起こるであろう事や、こうなるであろう、といった傾向の様なモノ(感覚?)が自分の中で確信の様な明瞭さを持って”わかる”感覚」 っていうので直感したのは大体今現在起こっている事全体です。
これが、どうも、3年前の10月くらいから“耳鳴り”を通して感じる様になっていたのは過去書いた通りです。
で、私は2012年9月27日にこうも書いています。
橋下っさんはこれから辛い役目だね。 表向きには決して賞賛はされまいが…。
これから日本が、日本国民が自力で立てる様にする為には、もう少しの力が要る。
その為にこれからの日本、日本国民の礎になろうとする人間を、例え表の顔がこれからどのように見えるのだとしても、私は尊敬します。
この間の在特会の桜井氏との公開討論会でのあの有様を見てもまだそんな事思ってるの?と問われそうですが、、、。
でも、やっぱり、尊敬していますよ。 その存在を。
例えマルハンとの金の繋がりがあろうとも、民潭との繋がりがあろうとも、桜井氏を公開の場で「オマエ」と罵る稚拙な言動を発しようとも、です。
この役目はこの人でないと成せなかったわけでして。
上記のあからさまに反日的なつながりや行動も含め、この人は必要だったのです。
前維新時代のこういう発言も、そもそもこの維新という政党がなければ存在できなかったわけですし。 そして次世代と維新に分かれた後、反日勢力をある程度一まとめに出来ました。
なにより、朝日新聞を決定的な悪として最初に世間に暴露した立役者である事には変わりありませんし。
自分の戸籍の件を引き合いに出してでも朝日と戦った一点だけを見ても十分評価に値すると思っています。
朝日が週刊アサヒをスケープゴートに使ってまで叩いて、泥仕合化したおかげで、一般的な日本国民の朝日に対する見方を大きく変えたキッカケになった人ですしね。
この時からの朝日に対する悪いイメージが潜在的に燻っていたマスコミに対する不信感をより明確なモノにし、そして従軍慰安婦捏造記事の一部訂正(謝罪はないがw)に繋がっています。
このキッカケ作りこそが彼の大きな役目だったのです。
だから、2年前この様に書いたのです。
「表向きには決して賞賛はされまいが…。」
橋下さんの人間的素養がうんぬんとか、そういう事を言及するつもりはありません。
ただ、橋下徹という人間が、反日勢力の分散のキッカケ作りに必要で、且つ共食い状態となった後でも、反日勢力内の疑心暗鬼の種子としてその中に存在している事が重要だったので。
えと、一応明言しておきますが、未来っていうのは不確定ですよ。
あくまで可能性の話です。 ただ、まっとうな日本人の未来が明るいものになっていく事だけは明言できます。
ここまで来たら流石に誰にでもわかるでしょうけども。
ただ、本当の意味で個々人が幸せを掴むためには、それぞれが
素直に生きる事が条件
にはなってくるかもしれませんけどね。
まぁ、それはそれぞれの人達次第です。 

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