豊かさ その2

前回の記事では、豊かさの中の一つに触れる為の、最初の一歩の部分だけを〆として書いたので、最終的に何だかわかりにくくなってしまった感があるので補足。
「豊かさ」っていうのは、実はそこら中にありえるものです。
人間が幸福感を感じる「ナニカ」。
その幸福(感)そのものが「豊かさ」であり、又、その幸福(感)がやってくる「扉」を開く事が「豊かさ」でもある。
イメージしてみましょう。
あなたの周囲には見えない扉がたくさんあります。
それぞれの扉は色々なものを自分に招きます。
開きにくい扉もあれば、開き易い扉もある。
その開きにくさ、開き易さは、自分自身のあり方、考え方によってどんどん変化します。
自分が不幸だと思えば、そういった扉が開き易くなり、幸せだと思えば、そういった扉が開き易くなる。
扉にはいくつか大別できる性質があって、幸福の種類がその性質によって変わる様です。
幸福がお金という形になってやってくる事もあれば、家族の絆という形になってやってくる事もある。
命そのものの価値を再認識できる、というのも又、幸福そのものです。
幸福、つまり豊かさに決まった形など実はありません。
その形を限定してしまっているのは、実は自分自身なのです。
お金。 なるほど、お金があれば色々な事ができそうですね。
でも、「お金さえあれば」とあまりにお金に拘りすぎると、その他の豊かさの扉が開きにくくなってしまう事もある。
「豊かさ」=「お金」という思考にハマりすぎてしまうと、お金以外の豊かさの扉を自分で堅く閉じるのと同義になってしまう。
たくさんの豊かさの扉の中から、「お金」だけの扉しか開かない状態を自ら作り上げているのです。
勿体無いですよ。 他にも幸せの形なんてたくさんあるのに。
お金だけに限定してしまうなんて。
家族を安心させる為にお金を必死に稼ごうとするのを悪いなんて勿論言いません。
でも、その内、お金を稼ぐ事が目的になってしまい、家族が目に入らなくなってしまったら本末転倒ですよ。
子供の為に必死に頑張るお父さん、お母さん。 尊敬します。
でも、働いてお金を稼いでくる事だけを子供が望むなんてことはないんですよ。 子供と触れ合う時間を持つ為に、一旦休む事を躊躇する必要なんて全然ないのです。
今より少しだけ、自分を赦すことを自分にしてあげるのもいいんじゃないでしょうか。
○○がない!>お金がないからだ!>お金! なんて、「ない」事ばかりに目を向けていても何もいい事ないですよ。
子供がいてくれる、家族がいてくれる。
それを幸せ、豊かさとして受け止めて何の問題があるのです?
それに、 生きている以上「命」は「ある」のですから。 何も「ない」なんて事はぜ~ったいにないのです。
「ない」事ばかりに目を向けるんじゃなくて、「ある」事に目を向けられれば、今まで気付かなかっただけで、自分は色々な人や、思いや、環境に助けられて生きているんだな、ってわかります。
そしたら、「ありがたい」って、色々な事に感謝できる気持ちが自然と心に沸いてきます。
そう素直に思えたら、何も心配なんていらなくなりますよ。 不思議とね。

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